絵の具だらけになった私達はそのままの格好で「温泉」へと向かう。
普通の「温泉」ならそんな格好の私達は当然、お店に入れないだろう。
だけど“そこ”は知り合いがやっている温泉であり今日はこんな計画もあって貸切にして貰った。

ただ問題があったとすればそれは“今日だけ混浴”だという事だ。

私「やだ。聞いてない。こうなったら家に帰ってお風呂に入ります!」

幼馴染「却下。いいじゃん。私達しか居ないんだし」

私「積極的ですね!」

幼馴染「いや誰にだよ(笑) いいでしょー? 子供の時は一緒にお風呂入ってたんだから別に」

私「いや、絶対に恥ずかしいし! 同性であっても恥ずかしい人は絶対にいるし!」 

こくこく、と私の隣で私と同じように恥ずかしがっている後輩。

―ほれ、みたことか。

そう思って、言葉だけで敵(幼馴染)を倒そうとするもその願い叶わず、渋々皆と混浴する事になった。

奥さん「そういえば今回はムイなんだね~企画したの。普通はそこのバカ夫婦なのに」

私「別に私が思い付いたモノじゃなくって“ある作品の影響”で“ああいう事”をやりたかっただけですよ」

奥さん「あー成程。 ムイは“そういうところ”強いよね~。でもそれって良い意味でも悪い意味でも“純粋”っていうか…」

悪い意味…?

私「あれ? 今回楽しめませんでした?」

奥さん「な、わけないじゃん。十分楽しんだよ(笑) でも“純粋”って必ず良いモノってわけじゃないからさ」

それは理解しているつもりだ。

奥さん「ムイは本当、前からずっと言っているけれど、もっと我侭になっていいんだよ?」

私「…ん。十分に我侭だよ?」

奥さん「いや、全然なれてないから(笑) ムイの“やりたい”は自分のためじゃなく他人の事が多いからね。それを我侭とは言わない」

私「…でもやりたい事だもん」

奥さん「…はぁ。本当、ぶっ壊れないようにね? これは引っ越す前に一度言っておきたかったから」

その言葉は言い方はどうであれ。
“私の事を想ってくれて出た言葉”だ。

私「…ありがと」

奥さん「私も、今日はありがと。子供を含めて本当に楽しかった」

そう言って奥さんは私より先に温泉を出た。

12月の暇潰し計画。
個人的にはすごく楽しめたが、楽しい時間というものはとても短い。
私は“こういうバカな事”をあとどれくらい体験出来るんだろうか?

“自分のためじゃなく他人の事が多いからね―”

忠告は憶えておこう。
変われるか変わられないかは別として。
だけど変われたとして、価値観さえも変わってしまって、いろんなモノを楽しめなくなったら。

―それはそれで怖い話なんじゃないか?

そう考えてしまうのは私が臆病者だからなのかもしれない。